旅への誘い
限りない抵抗の間をぬって
僕の青春は
一刻の狂いもなく
確実に過ぎ去ってゆく
十六歳の頃、この青葉を目にした瞬間の衝撃を今も忘れない。
焦った。とにかく焦った。成すぺきことを知らぬ自分に。成すべきものを何ももたぬ自分に。
学業も、部活動も、その不安を
打ち消すほどに専念できるものではなかった。
眠りに逃避し、酒や煙草に鬱憤を晴らす自分に腹立たしさを感じた。
この不安と焦燥に対する回答を模索するために、それまでまともに読んだことのなかった書物を読みはじめた。
だが、書店に溢れる大量の書物に、その回答を見つけることはできなかった。
結局のところ冒頭の言葉に対する明確な答えも知らぬまま高校を卒業することになる。
それから数年が経ち、
相変わらず自堕落で無気力で無感動な生活を送りながら、十代最後の年を迎えようとしていた。
あの言葉が再び僕の脳裏に整ったのは、十九歳の誕生日が過ぎようとしている頃だった。
根気も才能もない人間の情熱はすぐに挫折してしまう。
そのうちに挫折することへの恐怖から無関心ばかりを装うようになっていった。
こんなとき一人の少女と出会って、というのならいいのだが、
意中の女性には必ずふられるのが僕の宿命らしい。
その代わり、多くの扇動的な書物に接する機会に恵まれた。
それは小田実の「何でもみてやろう」であり、梅棹忠夫の「モゴール旅探検記」だった。
彼らのように、何かに取りつかれたかのごとく、
旅や登山や探検に没頭した輝ける青春時代をもつ人物を羨ましく思った。
いったい今の自分には、後の自分が回想できるような休験があるのだろうか。
そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
わけもなく何かに追い立てられるような焦りと苛立ちが最高潮に達した時、
どうしても日本から離れたくなった。
芸術や歴史に関心があったから、ヨーロッパか中国を旅しようと考えた。
逃避だといわれても否定すまい。
最初の動機が逃避であったとしても、結果的には逃避にはならなかったから。
当時の自分は何事においても達成感を得られない状況だった。
何事においても完遂できないという状況が、旅に駆り立てた動機になったことは確かだろう。
旅先から得た感動の大きな部分が、青春の鬱屈した状況のカタルシスによって占められていたのかも知れない。
こんなことは月並みな現象であって、少しも珍しくはない。
最初の旅立ちでは、普段の自分の生活では絶対に出会う機会のない人達との出会いがあった。
たぶん一人で行動したことなど全行程の半分もなかっただろう。
未だにつまらぬ自分だが、その出会いを通じて多少はマシになっていくように感じられたものだ。
二回目以降の旅には、初めての旅のような感動はなくなってしまった。
けれども旅には捨てがたい魅力がある。
その多くは見知らぬ人達との出会いによって得られることだろう。
考えてもみてほしい。
日本で庶民の若者がこれほど自由に海外に出られる時代は、
この国の歴史がはじまって以来、ここ数十年に限定された出来事に過ぎない。
僕たちが学生時代の頃と比べても、自由に旅することができる地域はずっと多くなっている。
そしてこの状況がこれからも維持されるという保証はどこにもないのだ。
時代に恵まれたこの僥倖を逃すことのないよう、若い人たちには旅に出てもらいたいと思う。
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