英語の通用度
EU統合前と比べると、EU統合後のヨーロッパでは英語の通用度は格段に高まった
。人の流れが激しくなって、新たな共通語の需要が増したことも一因だろうが、インターネットの普及がそれにとどめをさしたといえるだろう。インターネット上の共通語は紛れもなく英語である。コンピュータにまつわる技術のほとんどがアメリカ主導で行われたので、無理もないといえるが。
言うまでもなく、一民族の一言語に過ぎない英語を世界共通語とすることは、非常に不公平だ。日本人は、莫大な人的・金銭的・時間的なコストをかけて英語を学ばなければ、世界におけるビジネスの舞台に上がることができない。ところが英語を母語として育った連中は、生まれながらにしてその条件を満たしている。
さらにヨーロッパ人が英語を学ぶコストと、我々日本人が英語を学ぶコストとでは大きく違う。もともと文法的にも語彙においても共有する部分の多いヨーロッパの諸民族が英語を学ぶのに、そうコストはかからない。発音だって英語特有の「th」の音に難儀するくらいだろう。だが日本語と英語は文法的には対極の位置にあり、発音も難しい。日本人が英語を苦手とするのは、何もバカだからというわけではなく、もともと非常に不利な位置から英語を学習しなければならないからだ。日本語と似通っている韓国語の話者にとっても英語は難しいはずなのだ。
かつて日本語を強要されたとして憤りをかくさない韓国人たちも、英語は積極的かつ自発的に学んでいるようだ。実に滑稽だとは思うが、それだけ英語が話せるということは大きなアドバンテージになるということなのだろう。日本でも英語を第二公用語にしようという動きがあるぐらいだから、余所の国の滑稽さを笑う気にはなれないのだが。
英語がデキればトクをすることは分かっている。だがトクをするからという理由だけで英語を学ぶとしたら、植民地化の朝鮮で日本語を積極的に学ぶことでトクをしようとした一部の朝鮮人たちと変わらない。さもしい根性だといえる。言語というものは、その民族の性質や文化を内包している。日本語は日本人の民族性をあらわす表現に満ちているし、朝鮮語は朝鮮人の民族性を…というふうに、民族と言語は密接につながっているから、他言語を学ぶということは、その相手方の民族性を学ぶことに、どうしてもなってしまう。結果みずからの民族性をないがしろにし、脳ミソごと相手方に売り渡してしまう危険性が常につきまとう。オレもロシア語を学んでからロシアに甘くなった。自戒のために「北方領土を返せ」とトップページに政府広報を載せてある。だから在日朝鮮人が自らの民族性を維持するために、民族学校で朝鮮語を教えるという行為は実に意味のあることなのだ。言語を失うことは、その民族が滅びることにつながる。
以前、ニューヨーク暮らしの長かった日本人女性と話をする機会があったが、彼女はすっかり日本人的な美徳やマナーや考え方を失っていて、とても驚かされた。人にもよるのだろうから一般化する気はないが、こんなになるんだったら、英語なんて学びたくないなと思ったものである。こうなってしまうと、アメリカがもつ暴力性や偽善性にも気づかなくなってしまう。必死でニューヨークを弁護する姿はアメリカ人そのものだった。同席したトルコ人のほうがよほどオレと考えが似てた。
旅先でもいろんな人たちと話をする機会がある。ロシア人やイラン人やトルコ人やクロアチア人やボスニア人やモロッコ人や…。こうした場合、コミュニケーションの手段はどうしたって英語になる。日本人であるオレと、クロアチア人の女の子との会話が、まったく関係のない別の民族の言語によってしまうということが、どうしても飲み込めず腹立たしい。だが他に手段もない。英語なんて役に立たないよと言い切れれば気も楽なのだが、実際には英語は実に有用なのである。英語の国際共通語化に自分自身も手を貸しているわけで、それも実に腹立たしい。
本当はエスペラントのような人造語が世界共通語になることが望ましい。少なくとも不公平さは幾分是正される。エスペラント運動などにも首をつっこんだ時期もあったが、現実的にはとてもエスペラントが世界共通語への大きな流れを生むとは思えない。
実際には英語の全く通用しない地域も世界中にはたくさんあるし、根性があって時間さえかけられるなら、英語なんてできなくても世界中のどこへでも行けるだろう。意志の伝え方はいくらでもある。
けれども英語がどこへ行っても最も「使える」言語であることは確かだ。英語が世界共通語になる流れはもう止められないだろう。
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