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エストニア共和国は、バルト三国の一つ。首都はタリン。ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。
ソビエト連邦から独立。国内に残ったロシア人(残留ロシア人)の問題を抱えている。
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歴史:
古代エストニアは自由で平和な独立国であったが、13世紀からはじまるデンマーク人の支配から、被支配国としての歴史を歩む。
1227年にデンマークが現在のエストニア北部を占領・支配。南部はドイツ騎士団が管轄した。
1343年の大反乱後、財政難のデンマークが、エストニア北部をドイツ騎士団に売り渡す(1346年)。この後もドイツ人貴族は大土地所有者として君臨し、政権交代後もエストニア社会に残り、生活や文化に大きな影響を与えた。
1561年リヴォニア戦争の結果、エストニア北部はスウェーデン、南部はポーランドの支配下に入り、1629年には南部もスウェーデンの支配下に入った。
北方戦争後の1710年にはロシア帝国の支配下に入ることになる。
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊すると、自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。ロシア革命の混乱期である1918年2月24日に独立を宣言。独立戦争によりソヴィエトやドイツの軍事介入を撃退した1920年、タルトゥにてロシアと平和協定を締結。これによりロシアはエストニアの独立を半永久的に認め、両国国境線を定めた。翌年1921年には国際連盟にも加盟した。
しかし1940年には再びソ連により占領される。このときの併合は、1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書による非合法的行為が根拠となった。
さらには1941年から1944年までナチス・ドイツが占領。第二次世界大戦末期にはソ連軍が再占領し、戦後はソ連により社会主義化政策が行われ、ソ連人形成と工業労働のため、エストニア北東地方には多くのロシア系住民が計画的に移住された。
ソ連崩壊後の1991年独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟。1994年8月31日にロシア軍が完全撤退した後、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。
2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。さらに、2004年5月1日には欧州連合(EU)に加盟した。 |
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地理:
ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。
国土は平坦で最高峰でも標高はわずか318m
。約48%の国土が森林で覆われ、150以上の島と、1400以上の湖がある。 |
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気候:
バルト海の影響で、緯度の割に冬の寒さはそれほど厳しくはない。冬は長く、3月頃まで積雪が見られる。5月からは急激に気温が上がり、半袖で過ごせるようになる。
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面積:
4.5万km2(日本の約9分の1、九州ほどの大きさ) |
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民族構成:
もともと言語・文化・人種的にはスカンジナビア文化圏に属する。民族構成は、エストニア人が65.3%、ロシア人が28.1%、ウクライナ人が2.5%、ベロロシア人が1.5%、フィン人が1%、その他1.6%となっている。(1998年時点) |
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言語:
公用語はエストニア語(フィノ=ウゴール語族)。ウラル語族・フィン・ウゴル語派・バルト・フィン諸語に属する言語で、話者は約110万人。フィンランド語に近く、ハンガリー語とも系統を同じくする。
歴史関係上ロシア語とドイツ語がよく通じるが、エストニア人のロシア語に対する感情は良くはない。若年層では英語の習得熱が高くなっている。 |
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宗教:
プロテスタント(ルター派)、ロシア正教・バプティスト等。 |
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| 通貨 |
時差 |
電圧・プラグ |
クローン(Kroon)
補助通貨
セントゥ(Sent)
1クローン=100セントゥ
国際通貨コード
EEK |
JST-6, GMT/UTC+3
サマータイム
3月最終日曜から10月最終日曜まで。 |
220V、50Hz
ヨーロッパCタイプ |
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参考資料: ・エストニア - Wikipedia
・外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(エストニア共和国)-
・「泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート」 宮崎駿(大日本絵画)
・「物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア」 志摩園子(中公新書)
・「エストニア国家の形成―小国の独立過程と国際関係」 大中真(彩流社)
・「バルト三国史」 鈴木徹(東海大学出版会)
・「民族の運命―エストニア独ソ二大国のはざまで」 石戸谷茂(草思社) |
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| ※上記媒体を参考にして、この項目を記述しています。 |
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