ユーラシア大陸横断の旅
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シベリア鉄道(後編)「イルクーツク~モスクワ」
2005. 0321-0324
イルクーツク駅
駅の構内をうろうろしてたら、若い警官に呼び止められた。 パスポートを見せろだって、はいはい。警官によるパスポートチェックはしょっちゅうだ。もうこんなことには慣れっこになっている。しかし今回はすぐに放免してくれない。こっちへこいだって。詰め所まで連れて行く気か? おい、もう発車まで30分ないんだぞ! ロシアの旅はバウチャー旅行で、あらかじめ日程を決めてあり、料金も日本で支払い済みなのだ。モスクワ行きの「ロシア号」は、この季節毎日運行しているわけではない。乗り遅れた場合の後始末のやっかいさを考えてうろたえるが、けっきょく駅の端っこの警察官詰め所まで連れて行かれた。いったい何なんだ、何が問題なのか? どうもインツーリストホテルが、俺の滞在日数を書き間違えていたらしい。警官がパスポートを見てチェックするのは、いつどこに何日滞在したかなのだ。ホテルのチェックアウトのとき、滞在期間を記したコピー用紙を、ホッチキスでパスポートに留めてくれるのだが、この一見どうでもいいような切れっ端が、実は大変な重要書類なのだった。バウチャーの控えを見せて、パスポートのほうが記入ミスなのだと訴える。とりあえず警官が電話でインツーリストホテルへ問い合わせて事なきを得る。走って列車へ向かった。発車時刻の5分前じゃないか…。でも列車が来たのは、さらに20分後だったので助かった。

ふわー、さっきの警官のせいでロクに食料を調達できんかった! インスタントコーヒー買っただけのところで引っ張っていかれたのだ。くそ、どうせいっちゅうんじゃ、3日も乗るんだぞ。こないだだってピロシキ4個を2等車におきっぱなしてきたんだ。そのとき1個は食ったからいい。今度は何んにも無しかよ。
ウラジオストクからイルクーツクまでは、停車駅には結構たくさん物売りがいたものだが、イルクーツクからモスクワまでは、それが極端に少なくなる。ヨーロッパ方面は規制が厳しいからなのだそうだ。途中駅の売店は乗客が押し寄せて、食い物を買うのも大変なのだ。


2等車の乗客たち
イルクーツク駅は途中駅なので、列車に乗り込むとすでに先客が3人いる。「ズドラーストヴィーチェ」と元気よく挨拶してコンパートメントに入っていくが反応がない。うーむ、このシャイさは欧米よりもむしろ日本的だ。日本の列車にコンパートメントがあったら、多分こんな感じだろう。皆んなめいめいに本を読んだり、トランプしたり、携帯電話をいじっていたり…。
シベリア鉄道の旅が楽しいものになるかどうかは、どんな人たちと相部屋になるか、それにかかっていると思う。だから可能な限り細切れに乗って、いろんな人と一緒になるほうがいい。もしウラジオストクからモスクワまでの7日間、同じヤツと一緒だったらと考えると、ちょっとゾッとする。もし日本人と一緒になってしまったら、旅情も台無しだ。せっかくロシアまで来たんだ。ロシア人とコミュニケーションがとりたい。
いくら無愛想にしてても、何時間も一緒にいると、ボソボソと話し始める。やっと素性が判明した。年配の男性は退役軍人で、いかにもという感じの筋肉質。若い男は軍のプログラマー。女性は年少の子どもたちに英語を教えている先生だった。相部屋に英語を話せる人が居合わせたのはラッキーだ。民主化以降、若者のあいだでは英語学習が流行しだしているものの、まだまだロシアでは英語を話せる人は少ないのだ。はやく言ってくれればいいのに。以降彼女を通訳にして会話が可能となった。


ザクースカ
ザクースカ(Закуска)とは、前菜・軽食などのことだが、食べ物を広げて会食するときにも使う。
僕がサモワールからお湯を汲んできてチャイを飲み始めていると、退役軍人氏が「何だそれ?」と怖い顔で言う。
「チャイだよ、飲むんだ」
「捨ててこい!」
「は、はい!」 てなことで無理矢理ヴォトカを注がれて、ザクースカが始まった。退役軍人氏はサカナの干物だの、チキンだの何だの大量の食料を持ち込んでいて、それをベッドの上に広げだした。それにしてもこれはキツいヴォトカだ。一般的な無色透明のヴォトカではなくて、赤褐色をしている。ロシアの流儀だと、こいつを一気にあけてしまわないといけないので、たまらない。オレンジジュースで割ろうとしたら怒られた。

無愛想な連中だと思ってたが、ヴォトカがはいると途端に陽気になる。
ロシア語講座のエレーナさんも言っていたが、アメリカ人のようにズカズカと他人のなかに割り込んでくる連中は、ロシア人にとって気が休まらないのだそうだ。開放的で時には図々しく感じるアメリカ人とは違って、ロシア人はとてもシャイだ。他人との接し方は日本人に近いような気がする。
ロシアと日本は友好的な関係だとは言えない。日本人がロシアに対してもつイメージは決して芳しいものではないだろう。だがロシア人の日本観はそれほど悪くない。民主化以降、日本製品もたくさん輸入されるようになって、関心も高い。プログラマー氏は、俺のG-Shockをいい時計だと褒めてくれた。なるほどこういった質実剛健さはロシア人好みかもしれない。モスクワの時計店でもG-Shockをよく見かけた。
「日本ではロシアの何が知られてるいるの?」
英語教師氏にこう訊かれたので、「ドストエフスキー、トルストイ、ゴーリキー…」などと、ロシア文豪の名前を並べたてる。「最近の作家のことは知らないの?」と、彼女は自分の読んでいたペーパーバックを俺に見せる。ミステリー小説のようだが、残念ながら知らない。最近のロシア文化で知ってるのといえば、「t.A.T.u.」ぐらいだ。「Not Gonna Get Us」ならロシア語で歌えるぞ、「♪Нас не догонят, Нас не догонят ! 」。英語女史は醒めた目で僕を見て、「タトゥーはロシアではポピュラーじゃないのよ…」だって。じゃあもう「カチューシャ」とか「カリンカ」とか「百万本のバラ」とか「悲しき天使」ぐらいしか知らないや。とりあえず知ってる限りを歌ってみる。「旧い歌ばっかりね」って、英語女史は淋しそうに言う。いや日本人としてはこれだけ知ってるだけでも大したものだと思うよ。しかもちゃんと(うろ覚えだが)ロシア語で歌ってるじゃないか。
ロシアが民主化してもう10年以上経った。現在のロシア人にとってソビエト時代のことは、とにかく忘れてしまいたいことなのだろう。民主化以前の文化に関する関心は低いようだ。


ラスト・サムライ
デタラメぶりが物凄いので、日本人としては手放しで絶賛するわけにはいかない「ラスト・サムライ」だが、ロシアでも公開されていたらしく、観たという人は多い。日本の「武士道」を誤解も含めつつ、好意的に解釈した内容だったので、日本に対する好印象を世界中に与える映画となった。
「ベスト・キッド」の公開直後にも欧州に行ったことがあるが、海外を旅するなら、こういった映画の公開直後を狙いたい。日本人に対する怖れや好意から、多少は安全に旅することができるのではなかろうかと思うが、実際にはちっとも安全ではなく、空手のレクチャーをしろとか、ブシドーについていろいろ聞かれたりしてわずらわしいだけだったりする。そもそもハリウッド映画というのは、大なり小なり政治的意図をもった作品であることが多いので、「ラスト・サムライ」のような映画が製作される背景には、日米関係が比較的良好であることが前提となっている。当然ながら日米関係とは対等の関係ではありえないので、日米関係が友好であるということは、日本がアメリカに追随している状態を指すことになるわけだ。
だから英語女史から、こんな質問もでる。
「どうして日本はアメリカの言いなりなの?」
「1945年以来、日本はアメリカの植民地だからね、軍事的にも、外交的にも」
自嘲気味にそう答えておいたけれど、皆んな大きく頷いて納得してしまう。

プログラマー氏は、「ラスト・サムライ」を観て、「武士道の誠実さに感動した」と言っていたけれど、実際のところはどうだったろう。美化しすぎるのもどうかと思うので、「あれはハリウッドの作った映画だから、事実とは違う」と返答しておいた。ロシア人にとって「warrior」とは、“種族のために戦う戦士”として疑いようのない存在であるらしいが、サムライが「warrior」であるかどうかについては自信がない。サムライというのは、同種族同士が争う内乱に明け暮れていたのではなかったか。武士道というのも、武士の存在意義が希薄となった江戸時代に、武士の理想的な在り方をあらためて再確認するために作られたものではなかったか。などといろいろ考える。


line     line   退役軍人氏(左)と英語女史(右)。英語女史はこのあとエカテリンブルクで下車してしまった。   line


line     line   プログラマー氏。日本で仕事が見つかるかと訊かれたが、何をしてるかは知らないが、仮にも彼はロシア軍のプログラマー。外国の民間企業などに職を求めてもよいのか?   line


北方領土のこと
つい北方領土の話をしてしまった。相手が軍人だということをすっかり忘れてた。
英語女史とプログラマー氏が窓の外を見ながら話をしていた。
「遠いなあ」
「ロシアは広いから」
これぐらいのロシア語会話なら理解できる。
「じゃあ、4つの小さな島なんてロシアには必要ないね」
言ってしまったことをすぐ後悔した。プログラマー氏に退役軍人氏が加わって猛反発だ。ちょっと待て、いっぺんに言われても分からん。さんざんまくしたてられたが、退役軍人氏の「プーチンは手放さない」というのだけが何とか聴き取れた。
「歴史的にはどう思うの?」
英語女史もどうやら味方についてくれる気はないらしい。だからそれは南サハリンとチェンジしたのをだな、スターリンが約束をだな…。うーん不可侵条約とか破棄とか、こんなの俺が英語で説明できるもんか! また退役軍人氏とプログラマー氏がワーワー言う。英語女史の翻訳によると、プログラマー氏の姉さんがクナシリ島に20年以上前から住んでいるんだそうだ。
スターリンがやった。あんたたちスターリンがグッドと考える? プーチンはスターリンと同じ。チェチェンは…。もうやけくそ。とにかく思いつくまま支離滅裂に反論してみる。だがチェチェンを引き合いに出したのはマズかった。この人たちはカフカス(コーカサス)地方は昔からロシアの領土であるとして、微塵も疑いをもっていないのだ。ワーワーワー! ワーワーワー! わからーん。英語女史も肩をすくめるだけで、まったく翻訳してくれんようになった。さすがに何を言われているのか怖くなってきたぞ。事態を収拾せねば…。
「でもクナシリが日本のものだったら、観光客がたくさんやってきて、自然が破壊されるだろうね」
実際、知床の惨状を思うと、杞憂ともいえまい。だからといって北方四島をロシアの領土だと認めるわけではない。しかし退役軍人氏は大きく頷いて、握手を求めてきた。太い腕。右手の人差し指が欠損している。
「オマエはいいヤツだ」。何だか分からんが収まったらしい。もう余計なことは言うまい…。


携帯電話
英語女史は途中のエカテリンブルクで降りてしまった。モスクワまでまだ丸一日ほどかかるのに、通訳がいちはやく抜けてしまうのはつらい。別れ際にガムを差し出すと、「日本の?」と訊ねられた。さて、ロッテのガムは日本のだと言い切っていいものかどうか、一瞬迷うが…。まあ話をややこしくすることもあるまい。
10年前には見かけなかった光景に携帯電話がある。シベリア鉄道内でも携帯電話をいじっている人を見かけた。廊下のコンセントにいくつも携帯電話がささっていて、みっともないし、旅情が台無しで、とても腹立たしい。プログラマー氏もそんな携帯ユーザーのひとりだ。
中国でもそうなのだが、広大な国土を持ち、有線電話回線の普及が遅れていたロシアにとっては、携帯電話は低コストで普及させることができる通信手段。いまでも爆発的な普及が進んでいて、ここ数年は100%の成長を続けているそうだ。2Gでは世界的主流のGSM方式がロシアの通信規格。韓国製のSAMSUNGやLGが圧倒的に目立ち、日本製はほとんど見かけない。これはロシアに限らず世界中でそうだろう。日本の各メーカの世界シェアは1%程度と聞く。かろうじて健闘しているのがソニー・エリクソンだが、これはスウェーデンのエリクソン社とソニーの合弁会社だ。
日本は世界の携帯電話市場では完敗している。いろいろと理由があるだろうが、2Gに独自のPDC方式を開発したものの、NTTの海外進出が規制されており、日本国内で鎖国状態になってしまったこと。高機能・多機能路線に奔りすぎたことなどが挙げられている。

プログラマー氏は英語を解さないが、プログラマーなのでコンピュータ関連の英語の語彙は豊富だ。俺もインターネットがらみの仕事をしているので、情報交換程度の会話をロシア語の辞書を片手に試みる。彼も軍から実家への帰省組で、弟だか妹だかへのおみやげがたくさん鞄の中に入っていた。リムーバブルHDDケースも鞄の中にあったが、まさか軍のデータを持ち歩いているわけじゃあるまいな。ノートパソコンが欲しいそうだが、まだ彼にとっては高すぎる代物らしい。もちろん俺にとっても高すぎる代物だが。

プログラマー氏と退役軍人氏が長いこと議論してた。ロシア語なので詳細は分からんが、「プーチンはスターリン的だ」という、退役軍人氏の言葉が聞き取れた。

プーチンは民主化を後退させた独裁者であるが、彼の登場によってロシアは国家の弱体化に歯止めをかけることができたといえよう。中国と違って民主化を先行させてしまったために、旧ソビエト連邦の各構成体は主権国家として独立してしまったが、この動きを抑制するためにプーチンが行ったのが、第二次チェチェン戦争だ。侵略によって得たチェチェンの独立を許さず、軍事侵攻を行い、住民を無差別に殺戮し、しかもこれを“テロとの戦い”と位置づけ、アメリカ合衆国との協調姿勢をアピールするためにさえも利用した。内政的には、強いリーダーシップをもって中央集権化を推進しつつ、対外的には、かつての“仇敵”であったドイツや中国との関係強化に努めてもいる。スターリンなどと比べるのはどうかとも思うが、プーチンが「スターリン的」に強権的であることは事実だろう。

プーチン云々の会話などに口を挟むとロクなことにはならないだろうから、とにかくいらぬことを言うまいと黙っておく。だが、ヒマをもてあますシベリア鉄道内は、格好の思索の場である。いろいろ考えさせられた。
 
 
バウチャー旅行
いまのところ、ロシア旅行といえばバウチャー旅行に限られている。この場合のバウチャーとは予約確認書のこと。日本の旅行会社を通じて、インツーリスト(旧ソ連国営旅行社)を経由し、ロシア国内の宿泊や移動などの予約を入れ、料金をあらかじめ支払う。その料金が支払済であるという証明となるのがこのバウチャーである。現地ではバウチャーと引き替えに、滞在するホテルのフロントで列車の乗車券や各種チケットを入手する。(ちなみにバウチャーと、現地旅行会社から送られてくる招待状がないと、一般旅行者にはビザが発給されない仕組みとなっている。)


t.A.T.u.
タトゥー(ТАТУ)は、1999年に結成されたロシアの音楽プロジェクトグループ。 ヴォーカルのエレーナ=セルゲーエヴナ=カーチナとユーリヤ=オレーゴヴナ=ヴォルコヴァの二人組およびプロデューサー・作曲者・作詞者・各マネージャーを含むプロジェクト全体の名称である。 日本でも来日の際には大きな話題となったが、番組出演をすっぽかしたり、理不尽なドタキャンを繰り返したため、すっかり評判を落としてしまう。東京ドームのコンサートでは、5万人の会場に半分程度しか入らなかった。


カチューシャ
原語は(КАТЮША)。ロシア唱歌。ミハイル=イサコフスキー作詞、マトヴェイ=ブランテル作曲。
第二次世界大戦直前の1938年に作られた曲で、当初は林檎と梨の白い花で始まる北国の春を歌った素朴な歌詞だった。ところが時節柄、次第に戦時歌謡曲へと変貌していき、「自動小銃を持つ娘…」とか、「カチューシャは包帯を巻いて…」などといった内容で歌われることとなる。スペインのパルチザンやフランスのレジスタンスの間でも親しまれ、世界的に有名となった。カチューシャとは女性名「エカテリーナ」の愛称。
ちなみに髪飾りの「カチューシャ」は、大正時代に松井須磨子が、トルストイ「復活」に登場する「カチューシャ」を演じた時に着用していたことに由来するらしい。

カリンカ
原語は(Калинка)。ロシアの農村婚礼歌。
「カーリン、カカリン、カカリン、カマヤ」でお馴染みの曲。カリンカとはカリーナのことで、スイカズラ科の灌木になる実の愛称。この赤い実を花嫁に喩え、はやしたてながら祝福して歌う。


百万本のバラ
原題は(Миллион алых роз)。直訳すると、「百万本の真っ赤なバラ」。
日本では加藤登紀子が訳詞をつけて歌ったので有名。民謡ではなく、1982年にロシアの人気女性歌手・アーラ=プガチョーワが歌って大ヒットした曲。作詞はロシア人のアンドレイ=ヴォズネセンスキー。作曲はラトビア人のライモンド=パウルス。


悲しき天使
ポール=マッカートニーのプロデュースでデビューしたメアリー=ホプキンが、1968年「Those were the Days」のタイトルで発表し、大ヒットとなった曲。日本では森山良子が「悲しき天使」の題名で歌った。
原題は(Дорогой Длинною) で、「長い道を」。1917年の曲で、コンスタンチン=パドゥレーフスキイ作詞、ボリス=フォミーン作曲。ジプシーを連想させるという理由で、ジプシー音楽を排斥していたスターリン時代には一時発禁扱いとなったものの、亡命ロシア人たちの間で歌い継がれていった。
 
 
 
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