ユーラシア大陸横断の旅
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旧ソ連軍ミリタリーモデル

ソビエト連邦軍(Вооруженные силы Союза Советских Социалистических Республик)は、ソビエト連邦が結成した軍隊である。ソビエト連邦共産党の軍隊であった赤軍がその前身であり、1946年に赤軍からソビエト連邦軍に名称変更。戦後は東欧など衛星国に駐留し、軍事的脅威で支配を続けた。しかし1991年12月に8月クーデターにより解散した。その後、ロシア連邦軍(Вооруженные силы Российской Федерации)が、旧ソ連の核兵器を含むソビエト連邦軍の主力を継承した。

 
 
KV-1
旧ソ連軍の重戦車。T-100重戦車・SMK重戦車をベースに1939年に開発される。第二次大戦初期から中期にかけてT-34中戦車と共にソ連機甲部隊の中核を担った。KVの名称は、当時のソ連国防相であったクリメント=エフレモヴィッチ=ウォロシーロフ(Климе́нт Ефре́мович Вороши́лов)に因んで名付けられたものである。
76.2mm砲を装備し、当時としては破格の重装甲であった。一方でトランスミッションや砲の照準装置などの品質の低さは深刻であった。また重装甲におり著し重量増加を招き、運用上大きな制約となってしまい、後に軽量型であるKV-1Sが作られた。
独ソ開戦当初にはドイツ軍の砲弾を跳ね返し、無敵を誇ったKV-1は、SU-152、KV-2の様な多くの派生型や改良型を産み出したが、ドイツ軍のIV号戦車の備砲強化や、VI号戦車・V号戦車の登場等により、砲を85mmに強化したKV-85を最後にISシリーズにその座を譲った。
 
1/35「ソビエト KV-1戦車(B型)」(TAMIYA)
A型~C型というのは、ドイツ軍側からの呼称。ソ連軍側は生産時期によって呼び分けており、このKV-1Bは、ソ連側でKV-1Eにあたる。ボルト止めの増加装甲を付けたタイプ。
また、 このB型の増加装甲をはずせば、簡単にA型に改造できる。A型は溶接砲塔を搭載したタイプ。
 
1/35「ソビエト KV-1戦車(C型)」(TAMIYA)
C型というのは、ドイツ軍側からの呼称で、生産年代や性能による分類ではなく、主に見た目による呼び分けだった。KV-1Cは、鋳造砲塔を搭載したタイプ。
 
1/76「KV-1A」 (FUJIMI)
フジミ模型のナナロクシリーズ。394円。
 
 
KV-2
KV-1に152mm榴弾砲搭載の巨大な砲塔を据えつけた車両。総重量52t。
1939年、フィンランドに侵攻したソ連軍が国境地帯に築かれたフィンランド軍の強固な防衛陣地に前進を阻まれ大損害を蒙った経験から、再度のフィンランド侵攻に際して火力支援用に開発・投入した。152mm榴弾砲の絶大な火力は開発当初の要望に応えた。しかし分離装薬の砲弾を迅速に装填するため2名の装填手を要し、人の背丈ほどもある砲塔は平坦な土地でしか旋回できなかったという。
新設計の砲塔を持つ量産型も配備され、独ソ戦初期にドイツ兵を驚愕させたが、次第にドイツが新型の長砲身砲を装備した戦車を投入するようになると、機動性に劣るKV-2は多くが撃破・鹵獲され、以後は製造されることはなかった。
 
1/35「ソビエト軍 KV-ll重戦車 先行量産型 Big Turret」(TRUMPETER)
独特の7面体巨大砲塔を新規金型で立体化。車体と履帯は従来品と同じだが、転輪は丸い凹みの周りにリブがない、初期タイプを再現している。さらに、防盾上にあるカバーの両サイドのリベットを、スライド金型でモールドする等した意欲作。履帯は接着組み立て式とベルトタイプが選択可能。
 
1/35「ソビエト KV-llギガント」(TAMIYA)
どういうわけか何時までも枢軸軍側の呼称で呼ばれてしまうのが、冷戦時代の悲劇。「ギガント」というのも、総高4m近い巨体から、フィンランド兵がつけた渾名だ。ロシア式に読むなら「カーヴェードゥヴァ」となる。未来少年コナンじゃあるまいし、タミヤももうそろそろ改めて欲しい。
 
1/76「KV-2」 (FUJIMI)
フジミ模型のナナロクシリーズ。394円。
 
 

T-34
第二次世界大戦から冷戦時代にかけてソビエト連邦を中心に使用された戦車である。独ソ戦で、窮地に陥ったソ連を勝利へと導いたことからモスクワの守護神またはロージナ(祖国)と呼ばれた。500馬力のパワーと燃費の良さを持つアルミ合金製60度V型12気筒V2型ディーゼルエンジンを搭載し、主砲には強力な76.2mm戦車砲を装備。さらにクリスティー戦車譲りの車体とサスペンションや後輪駆動方式も加わり、機動力、攻撃力と避弾径始にすぐれた傾斜装甲の防御力とバランスの取れた戦車だった。T-34はその生産工場の違いと改良により細部の異なる無数のバリエーションがある。主砲の口径によりT-34/76(ソ連では単にT-34と呼称)とT-34/85に大別される。
>>(参考資料)ルーマニア軍のT-34/85 【撮影:YAM@管理人】

 
1/35「ソビエトT34/76戦車1943年型チェリヤビンスク」(TAMIYA)
ドイツ軍がヨーロッパ・ロシアに向けて進撃する中、ソビエトは戦車工場群を安全なウラル山脈後方に疎開させた。国営第9ウラル重機械工具製造所において生産されたタイプがこれ。上面まで鋳造一体成型の砲塔で、生産性に優れた。
 

1/35「ソビエトT-34/76戦車1943年型」(TAMIYA)
砲塔を大型化して戦闘能力を高めたT-34/76の1943年型。六角形の砲塔やタイヤ付きホイールに代わって採用されたスチール・ホイールなどが特徴的。

 
1/48「ソビエト中戦車T34/76 1941年型(鋳造砲塔)」(TAMIYA)
第112クラースナエ・ソルモヴォ工場で1942年から43年頃に生産されたのが、この1941年型T34/76。コンパクトな鋳造砲塔を装備し、車体各部には搭乗歩兵のための手すりが取り付けられていた。戦場には1943年に登場。
 
1/76「T34/76」 (FUJIMI)
フジミ模型のナナロクシリーズ。394円。
 
1/35「ソビエト SU-122襲撃砲」(TAMIYA)
T34の車体に楔形の固定戦闘室を設け、122mm榴弾砲を搭載した襲撃砲戦車。SUはロシア文字ではCYで、サムホードネア・ウスタノーフカ(自走砲の意味)の意味。最初の量産型が冬のレニングラード戦に投入され、1943年7月からクルスクの戦いに参加。独軍に対して23口径122mm榴弾砲の威力を発揮した。ソビエトで最初に成功した襲撃砲戦車であったが、クルスク以後、より強力な85mm戦車砲を搭載したSU-85にその座を譲った。
 
1/48「ソビエト SU-122自走砲」(TAMIYA)
ソ連軍が開発した初の本格的な自走砲。T34の車体前面装甲を上方に延長する形でシンプルな完全密閉式の戦闘室を設け、122mm榴弾砲を搭載。史上最大の戦車戦となったクルスク戦にも多数が投入され、優れた機動性と防御力を活かして、防衛拠点の突破戦などに威力を発揮した。生産は43年8月で終了となったものの、大戦後半に登場する対戦車自走砲SU-85やSU-100などの原点となった。
 
1/35「ソビエト SU-85襲撃砲」(TAMIYA)
独軍のIII号突撃砲に触発され、開発された突撃砲。T34のシャーシに固定戦闘室を設け、51.5口径長砲身の85mm戦車砲を搭載する。これは1939年に設計された高射砲D-5を戦車砲に改造したD-5S-85Aと呼ばれるものであり、重さ9.02Kgの徹甲弾を使用し、初速792m/s、距離1000mで直立する厚さ100mmの装甲板を貫徹する威力をもっていた。
 
 
 
 
 
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