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ロシア連邦沿海地方(Примо́рский край)の州都。日本では“ウラジオストック”とも表記される。人口は約70万人。主な産業は造船業と漁業、軍港関連産業である。
日本とは飛行機・船の定期便で結ばれ、モスクワまで続くシベリア鉄道の基点ともなる町である。
日本海をはさんで日本と向き合い、明治から大正時代にかけて、天然の良港として軍事的にも商業的にも重要な役割を担ってきた。1903年には日本領事館も開設されており、「浦塩斯徳・浦潮・浦塩・浦汐」などの当て字で親しまれ、日本人居留民も多く集まっていた。ところがロシア革命とそれに続くシベリア出兵の影響で、生活を続けられる状況ではなくなったため、1922年前後にはほとんどの日本人が引き揚げることとなる。
ロシア語では「東方を領有せよ」という意味であり、ロシアの極東政策の中心となる重要都市であったため、冷戦時代には軍港都市として、外国人はもとよりロシア人でさえも許可なく立ち入ることのできない閉鎖都市であった。しかしソ連崩壊後の1992年に全面開放され、1993年には再び日本領事館も開設された。現在では一般の旅行者でも自由に入ることができ、これによってシベリア鉄道の始点から終点までの全線を乗車することが、戦後初めて可能となったのである。
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歴史:
16世紀までの極東地方は、未知の荒野であった。17世紀からロシア人探検家が訪れ、開墾や狩猟で住みつく人々も現れはじめた。
19世紀までは清国の支配地域で満州の一部であったが、ロシアとの通商交易も行われていた。
1689年にロマノフ王朝のピョートル大帝が、清国との間にネルチンスク条約を結び、極東地域で初めてロシア・中国間の国境線が画定されている。1727年にはキャフタ条約によりモンゴル地方の国境線が画定する。
極東地方に西欧列強の力が及び、清国との関係を含め国際関係が緊張してくると、ロシア政府もこの地方の権益を重視するようになる。1847年にムラヴィヨフを総督に命じ、ネヴェルスコイとともにサハリン・アムール川。ウスリー地方一帯を綿密に調査させた。
1858年にはアムール川以北をロシア領と定める愛琿条約を結び、さらに1860年の北京条約によって、ウスリー川以東アムール川流域から沿海州一帯を含む広大な極東地域をロシア領として獲得する。ロシアは引き続き極東開拓に集中し、不凍港建設の必要に迫られる。そこでムラヴィヨフ一行が建設地に選んだのが金角湾であり、ここに新しい軍事哨所ウラジオストクを建設することになった。
ウラジオストクは、清国時代には「海参崴」(ナマコの多く棲むところ)と呼ばれる辺鄙な漁村に過ぎなかったが、ロシア政府により港湾設備や兵舎などが建設され、その後ロシア人が入植し、周辺からは中国人や朝鮮人もきて、次第に人の多く住む場所になっていった。
1870年には、ウラジオストクは公式にはまだ都市とはされていなかったものの、最初の定住商人・ヤコフ=セミョーノフが町長に選ばれ、1975年には市制が布かれることとなる。1976年には日本の貿易事務官が開設され、のちに総領事館へと発展した。1862年にはすでに自由港制度があったので、外国との貿易や商業が発達することとなり、長崎にも海底ケーブルによって電信で結ばれている。1889年に日本郵船による神戸~ウラジオストク定期航路が開通。1902年には大家汽船によりウラジオストクから最も近い敦賀からの定期航路が開通した。
1891年にはシベリア鉄道の沿海州地域が着工。1904年には中国領満州のハルビンを経由して、モスクワとウラジオストクが繋がった(一部は東清鉄道)
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その後ウラジオストクは、日本海を通じての太平洋への玄関口として、また北に位置するロシアが悲願とする不凍港として極東における重要な港町に位置づけられ、ロシア帝国海軍ウラジオストク艦隊が置かれた。
日露戦争時には、ウラジオストク艦隊は通商破壊に活躍し、黄海海戦ののち旅順艦隊の残存艦はウラジオストク艦隊に合流した。
ロシア革命後、ウラジオストクには、日本・イギリス・アメリカの干渉軍が進駐。1920年~1922年の間、極東共和国の支配下にあり、各地から白系ロシア人が押し寄せたため、市の人口は、9万7000人から41万人までに増加した。
1922年には最後の干渉軍部隊が撤収し、ウラジオストクは赤軍の支配下に入り、人口は、10万8000人にまで減少する。
1935年、ウラジオストクを本部とするソ連海軍太平洋艦隊が創設された。ソビエト連邦時代には沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに軍港として重視され、1958年からソ連の崩壊する1991年までごく一部を除いて外国人の居住と、ソビエト国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だった。その間、東のナホトカが外国貿易港の機能を代行している。
ソ連崩壊後はウラジオストク航空が誕生し、日本の新潟空港・富山空港・関西国際空港との間に定期便が就航している。
黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」(1975年公開)や、草彅剛主演の映画「ホテル ビーナス」(2004年公開)の撮影が行われた地でもある。
株式会社タウのテレビCMで「なかよし幼稚園」と車体に書かれたマイクロバス日産シビリアンを使用した中古車・事故車買取企業のCMロケを撮影したのもこの地である。
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地理:
ウラジオストク市は、日本海のピョートル大帝湾に突き出したムラヴィヨフ=アムールスキー半島(長さ30km、幅12km)南端部に位置し、東にウスリー湾、西にアムール湾、南には海峡をへだてて、ルスキー島をのぞむ。丘陵上の市街に囲まれるようにして金角湾(ゾロトイ=ログ)が半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。 |
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気候:
モンスーン気候。年間平均気温は+5℃(1月は-14℃、8月は+24℃)。年間平均降水量は600~900mm。降雪は、山間部では10月末から、沿岸部では11月末から始り、市内では降雪は少ない。夏季は暖かいものの雨天が多く、7月の平均気温は+14℃から+21℃。晩夏から秋にかけてしばしば台風に襲われる。
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参考資料:
・ウラジオストク - Wikipedia
・「ウラジオストクの日本人街」 堀江満智(東洋書店)
・「ウラジオストク物語」 原暉之(三省堂)
・「シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922」 原暉之(筑摩書房)
・「ウラジオストクへの旅―ロシア極東地域に移住した人々」 佐藤芳行(新潟日報事業社)
・「ウラジオ 静かなさざめき―ロシア体験・バフチン・文化の深み」 北嵯嶽(三一書房) |
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| ※上記媒体を参考にして、この項目を記述しています。 |
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関連リンク:
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株式会社タウ |
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ダメージカー・中古車を買取り、海外に輸出している。 |
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