ユーラシア大陸横断の旅
LINKS GUEST BOOK HOME

   
 

トルコ共和国

トルコ共和国旗トルコ共和国(トルコきょうわこく)、通称トルコ(土耳古)は、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパの東トラキア地方とを領有する、アジアとヨーロッパの2つの州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。 北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシアと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。 国土の大半の部分はアナトリア半島にあたり、国民の99%がイスラム教を信仰するため、日本の地域区分では地理的な位置関係と、文化的な繋がりから中東、西アジアに含めることがほとんどであるが、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属す。経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることがあり、現在欧州連合(EU)へ加盟申請中である。

 
 
歴史:
トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブルは、古代からヒッタイト・フリュギア・リディア・ビザンツ帝国などさまざまな民族・文明が栄えた地である。 11世紀に、トルコ系のイスラム王朝、セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族とが対立・混交しつつ次第に定着していった。彼らが打ち立てた群小トルコ系君侯国のひとつから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。 19世紀になると、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地では、ナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立してゆき、帝国は第一次世界大戦の敗北により完全に解体された。しかしこのとき、戦勝国の占領を嫌ったトルコ人たちはアンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)のもとに結集して戦い、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。 1923年、アンカラ政権は共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブルから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟する。国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきたが、その目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題が大きな障害となっている。
 
 
地理:
国土はヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがり、北の黒海と南のエーゲ海・地中海を繋ぐボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡によって隔てられる。アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川・ユーフラテス川の源流である。東部イラン国境近くにはヴァン湖とアララト山がある。国内最高所は標高5166mである。 気候帯は内陸は冷帯気候・ステップ気候で夏は乾燥し、冬は寒く積雪が多い。地中海沿いなど海に近い部分は地中海性気候で、オリーブなどの生産が盛んである。 トルコは国内に多くの断層をもつ地震国であり、1999年にはイズミルからイスタンブルにかけてのマルマラ海沿岸の人口密集地で大規模地震が起こり、大きな被害を受けた。
 
 
気候:
国土が広いため、地方によって気候や降水量の差が激しい。一般的に夏は雨が少なく、乾燥しており。海岸部では蒸し暑い。冬期は曇りが多く、よく雨が降る。東部の高原地帯では積雪もある。
 
 
面積:
780,576km2(日本の約2.07倍)
 
 
人口:
6,784万人(2000年10月:国勢調査)
 
 
民族構成:
トルコでは民族構成に関する正確な調査は存在せず、またトルコにおいては、民族よりもイスラム教徒であることを第一のアイデンティティとするもの、あるいは国籍上の意味合いにおいてのトルコ人であることを優先するものなどが存在すること、その上最大多数派であるトルコ人の定義自体が、アナトリア半島が歴史的に非常に複雑で重層的な混血と混住が行われてきた地域であることもあり、人種的な意味合いにおいてまったく不明瞭であること、などの理由により、なにをもって民族を定義するかということ自体が困難であるため、民族構成に関する数字は明らかではない。 少数派の民族としてとしては、クルド人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ザザ人などが存在するとみなされている。とくにクルド人はトルコにおいてトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は数百万人とも、一千万人を超えるとも言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場をとり、クルド語での放送・出版を禁止し、またクルド人にたいし「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど差別的な行為を行っていた。しかしながら、現在においては山岳トルコ人という呼称は用いられることがない。2004年にはクルド語での放送・出版も公に解禁され、旧民主党(DEP:共和人民党から分離した民主党(DP)とは別組織)ザナ党首の釈放と同日に、国営放送第3チャンネル(TRT3)においてクルド語放送が行われた。 クルド人はいわゆる北部クルディスタン、すなわちトルコにおける呼称で言う南東アナトリア地域にのみ居住しているのではなく、トルコにある81の県全てにおいて、地域によって差はあるものの、ある程度のまとまりを持った社会集団として存在している。実際、クルド系政党民主国民党(DEHAP)はトルコ全域において政治活動を行い、総選挙においても得票をあげている。逆に、南東アナトリア地域において居住しているのはクルド人のみではなく、トルコ人、アルメニア人、ザザ人なども共和国成立以前から存在している。1960年以降は全国的な農村部から都市への移住が増加にともないクルド人も都市部への移住が進み、そのため現在においては、クルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる。1990年以降において、もっとも多数のクルド人が存在するのは南東アナトリア6県のいずれでもなくイスタンブル県であるとの推計も存在する。一般に都市に居住するクルド人は所得水準が低く、また敬虔なイスラム教徒であり、このことが都市部において大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党の躍進をもたらしたものとする考えは比較的有力なものである。
 
 
言語:
かつてトルコにおいては、国民は一体であるという原則から、トルコ国民はすべてトルコ人でありトルコ語を母語とするという建前を取っていたが、現在では、民族的にトルコ人ではない国民も存在すること、トルコ語を母語とする話者は全人口の90%程度であることをトルコ政府は公式に認めている。
 
 
宗教:
宗教構成は、宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査が存在する。それによると、人口の99%以上がムスリム(イスラム教徒)であるが、身分証明書においても宗派は記載事項ではないため、詳細な宗派区分については不明な点も多い。しかし、その大多数がスンナ派であると一般には考えられている。その一方でかなりの数のアレヴィー派も存在し、20%を越えるとも言われる。その他の宗教には東方正教会、アルメニア使徒教会、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントなどがあるが、いずれもごく少数である。
 
 
通貨 時差 電圧・プラグ
新トルコリラ(Yeni Turk Lirasi)
補助通貨
イェニクルシュ(Yeni Kurus)
1YTL=100YKr
国際通貨コード 
TRY
JST-7, GMT/UTC+2
サマータイム
3月最終日曜~10月最終日曜まで。
220V、50Hz
ヨーロッパCタイプ
 
 
参考資料:
トルコ - Wikipedia
外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(トルコ共和国)-
 
※上記媒体を参考にして、この項目を記述しています。
 
 
 
 
目次
 
 
 
 
トルコツアー情報
 
 
 
 
  • 旅の情報
  • 旅の準備
 
 
 
ページトップへ  Go back to the page top このサイトについて  Terms of Use 管理人の自己紹介  About me コラム  Column メールフォーム  Contacts
 
コピーライト